EX#11
- Snow fairy who knows love. -
その頃私はひどく人見知りをする子供だった。引っ込み思案で、同年代の子供と遊ぶこともせず、いつも祖父や年の離れた兄の背中に隠れてばかり。私にとって世界は小さな箱庭であり、その外側に広がる森はただただ恐怖の対象だった。
唯一友達と呼べる存在はネズミのスタニスラフだけ。だからスタニスラフが死んでしまったときは、胸が張り裂けそうなぐらい悲しかった。
白い短毛で覆われた全身。あるかなきかのささやかでかわいらしい尻尾。黒い瞳は好奇心で輝き、ピンク色した鼻は周囲を注意深く嗅ぎまわる。背中を撫でれば毛皮はビロードのように柔らかく、喉元をくすぐると〝ピースク、ピースク〟と小さな声で鳴く。掌に乗せると四つの足はとても小さく、は虫類みたいに冷たい足の裏をしている。大好きだったスタニスラフ。
一人部屋に閉じこもり悲嘆に暮れる私に、大人達は皆決まったように同じ言葉を繰り返した。
《可哀相にね。とても可愛がっていたものね。でもこれもいい経験よね》
そんなこと知らなかった。スタニスラフが死ぬことで私が成長するというのなら、私は大人になんかなりたくなかった。
いつまでも泣きやまない私に、大人達は一通り慰藉の言葉を並べるも、やがて諦めたように私の許を去っていった。――ただ一人、十歳の少年を除いて。
「えっぐ……えっぐ……えっぐ……えっぐ……」
「なあ……そんなに泣くなよ。たかがネズミだろ?」
「うわーーーん!」
「うわっ、やぶ蛇だっ」
彼はこの冬の始め祖父が日本から連れてきた少年だった。彼の生家と祖父は旧知の間柄らしく、来年町が雪に閉ざされるまでの一年間だけという約束で、我が家でその身を預かることになっていた。
《彼が今日から家族の一員となる同志イズミだ。タマーラ、挨拶なさい》
四ヶ月前祖父がそう云って紹介した少年は、祖国から遠く離れたこの異国の地でも何ら物怖じした様子もなく、強い意志を秘めた眼差しとふてぶてしい態度は幼い私を怯えさせるのに充分だった。私は半ば彼を避けるようにして日々を過ごし、彼もまたそれを気にした様子もなかった。ただ私は彼に怯えながらも、また同時に彼の持つ何かが気に掛かり、時折その奇異な行動を遠巻きに見つめていた。
実際イズミは不思議な少年だった。今までに会ったどんな男の子とも違って思えた。
「……ひっぐ、う、う、うえっ、ぐすっ……」
喉の奥から迫り上がってくる熱いものを押し止めることもできず、顔を歪めて何度も何度もしゃくり上げる私を見て、イズミは心配そうに声をかける。
「いい加減泣きやめよ……。そんなに泣いたら身体に毒だぞ。知ってるか? 人間は体重の五分の一の水分を失うと干涸らびて死んじゃうんだぞ?」
お願いだから放っておいて欲しかった。どうして少年がこれほどまでに私に構うのか理解できなかった。四ヶ月間一緒に暮らしたとはいえ私と彼の間に接点は殆どなかったというのに、どうして今になって。私は少年を拒絶するかのように一際大きな声を上げて泣いた。スタニスラフが生き返るというのなら私は体中の水分が全部涙となってフィンランド湾に注いでも構わないとさえ思った。
私の剣幕にイズミも一旦は引き下がったが、数時間後白く小さな何かを手に戻ってくると、
「ほらタマ、スタニスラフだぞ」
ウィィィィィン! ギュルギュルギュルギュル!
「うわーーーん!」
「駄目か! せっかくミ●四駆バラして作ったのにっ」
彼は終始そんな調子だったが、他の大人達とは違い、決して諦めようとはしなかった。どんなに私が泣き腫らしても、どんなに彼を邪険に扱っても、彼は辛抱強く私の傍に居続け、慰めの言葉を絶やさなかった。
「どうして私に構うの……?」
ある日私はかすれた声で彼にそう問いかけた。思えば彼にまともに話しかけたのはこれが初めてだったかもしれない。それほど不思議だったのだ。
「だって女の子が一人で悲しい顔してたら駄目だろ? ばあちゃんも云ってたぞ。泣いている女の子を放っておくようなヤツは男じゃないって」
彼は大まじめな顔をしてそう云った。
「そうだ、これやるよ」
そう云って彼が懐から取り出したのは金の指輪だった。シンプルな外見ながらも、内側には意匠を凝らした文様が透かし彫りされており、由来の確かそうな代物だった。よくよく見ると指輪は男物で私の指にはあまりに大きすぎたが、男の人から指輪を贈られるなんてことこれが初めてだった私は、ただ目を丸くするばかりだった。
「ばあちゃんに貰ったんだ。霊験あらたかなお守りだって。――だからホラ、これやるから泣きやめって、な?」
「ありが……とう」
「おっ、笑ったな」
「!!!!」
イズミのその屈託のない笑顔を前に、私の鼓動は思いがけず跳ね上がった。――思えばそれが恋の始まりだったのかもしれない。その日を境にスタニスラフのために悲しむ時間は次第に短くなり、代わりにイズミと一緒に過ごす時間が増えていった。
「よーしタマ、サッカーしようぜサッカー。お前キーパーな」
「ん、このアイス美味えな。おいタマ、そっちのもくれ」
彼は私のことを〝タマ〟と呼んだ。そんな風に私を呼ぶ人はこれまでいなかったので、彼に名前を呼ばれるたびドキドキした。……後にそれが日本でありふれた猫の名前だと知って落ち込みもしたけれど――。
それから私たちは二人で色々なことをした。どこへ行くにも二人一緒だった。町へ繰り出しては一緒にマロージナエを食べ、雨の降った翌日には森へキノコ狩りに出かけた。特別どこかに出かけなくても、チェスやサッカーに興じ、一日中一緒に過ごした。この頃が私にとって間違いなく一番幸せな時期だった。
やがてロシアの短い夏が終わり、黄金の秋が訪れる。ナナカマドの葉が一斉に色づき、山並みを赤く染め上げる。――また長く厳しい冬が間近に迫ろうとしていた。
「だからさー、ヒーローには派手な必殺技が不可欠なんだよ。例えばそう、エターナルフォースブリザード!(一瞬で相手の周囲の大気ごと氷結させる。相手は死ぬ)みたいな。こいつさえ使えればジジイなんて……」
私とイズミは地面を覆う落ち葉を踏みしめ家路につく。少し前を歩くイズミは先程から何やら熱心に語っている。私はイズミの背中を見つめながら、ほうと小さく息を吐く。
ふと鼻の頭に冷たい感触。見上げれば薄暗い雲の間からこぼれ落ちる一片の白。手を伸ばしても届かない。触れれば始めから存在しなかったかのように溶けてしまう。
――それは別れの予兆だった。町が雪で閉ざされてしまうより前、本格的な冬を待たずして、彼は自分の国へと帰っていく。
「あのクソジジイ、人のこと好き放題しごきやがって……いつかジジイ討伐戦隊を結成してオホーツク海に沈めてやる。……タマ、そんときはお前をホワイトに任命してやるからな。励めよ? 主にジジイに対する囮として」
「イズミ……」
「ん? どうしたタマ。早くこっち来いよ」
そう云って振り返った彼は、立ち尽くす私に向かって手を差し伸ばす。
今すぐ走って行ってその手を取りたいと思った。繋いだ手を離すことなく、いつまでも一緒に歩いていたかった。だから――。
意を決した私は小さな拳を握りしめ、震える声で彼に問いかける。幼い勇気を後押しするかのように、近くで教会の鐘が荘厳に鳴り響く。
「どうしたら私を――あなたのお嫁さんにしてくれますか?」
イズミは一瞬きょとんと目を見開くが、すぐにいつもの不敵な笑みを浮かべ、
「いいぜ。ただし――俺より強くなったらな」
その一言が私の運命を決定づけた。生涯己を研鑽し、愛しい人の隣で斗い続ける人生。
「――はいっ。私、絶対に強くなりますっ!!」
そして十年――。
どんよりと分厚い雲に覆われた寒空の下。うら寂しい大学のキャンパスに、不吉の鐘が鳴り響く。
「おひさしぶりですね――イズミ」
そう云って私は45/100インチの大口径銃を愛しい人の顎下に突きつけ、婉然と挨拶を交わす。ガバメントの無骨な銃口が王子様のキスをねだって唇を寄せる。
さあ、あの日の誓いを果たしましょう――。

「約束を――おぼえていますか?」
... It continues to "Act.06 Russian blue came over with a bang! - A-part -"!