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- Echelle Gelee -

 マホガニー製の大きな執務机に向かい、手元の書類に目を通す。
 机は決して華美ではないが、所々に意匠を凝らした金細工が施されており、それだけで都市部の一流の職人の手によるものだということがわかる。

 机の上には先ほどメイドのグラニテが淹れてくれたコーヒーが湯気を立てている。私はそれを一口すすってから書類の続きを読む。
 グラニテはコーヒーを淹れた後、いつものように私の傍らに立つと業務報告書を読み上げている。

「――ゴディバ地区における先月の売り上げに関しては以上です。詳しくはお手元の資料に。――あとこちらの書類にサインをお願いいたします」
 そう云って一枚の書類を差し出す。
「うむ。……ちなみに今日の予定は?」
 私は書類を受け取りながら訊ねる。
「本日は富豪のマネケン様の邸宅にて商談の予定が入っております」
 意外な名前に私はペンを探す手を止めて訊ねた。
「マネケン氏の? 用件は?」
 マネケンといえばこのあたりでは割と名前の知られた商人だ。近隣諸国とも積極的に交易を持ち、かなりの財を成しているという。
 だが私の言葉にグラニテはその整った眉根を寄せて、
「いえ……ただ、ご相談したいことがある、とだけ」
「そうか……わかった」
 まあ、直に聞けば済む話だ。
 私は万年筆を手にとると、手元の書類に〝Markgraf Macedonia〟とサインを走らせた。

 何百年と続く名家。マチェドニアの名は政界にも大きな影響力を持つ。
 現当主である父はいくつもの大企業の取締役や顧問を務め、所有する資産は莫大な額に昇る。
 そんな家の三男として生まれた私の立場は微妙なものだった。年の離れた二人の兄。私は自分が家族に疎んじられていることを幼いころからはっきりと自覚していた。
 だからせめて自分に出来ることは精一杯やろうと決心した。
 十八の時に父の経営する会社のひとつに役員として入社してからは、精力的にいくつもの事業に携わり、成果を上げてきた。会社の業績は五年で倍近くにまで高まり、私はその経営を任されるまでになった。

 だが結果的にそれが兄たちの不興を一層買う形となり、私は形ばかりの爵位と共に中央から遠ざけられることとなる。
 身ひとつでこの辺境の地に追いやられたとき、私についてきてくれたのは私付きのメイドのグラニテだけだった。

 もっとも辺境に追いやられたこと自体に関してはあまり悲観はしていなかった。
 正直マチェドニア公爵の名前も、その莫大な資産にもあまり興味はなく、むしろ生ぐさい利権争いからいいかげん解放された喜びの方が大きかった。
 幸いこの地に来てから始めた商売も成功し、金には困らずにすんだ。
 古い小さな洋館で、グラニテとふたりだけで過ごす毎日。
 不満はない。満足している。
 ただひとつ。グラニテに負担をかけ詰めなことだけが気がかりだった。
 庭木の手入れなどはさすがに日雇いで職人を雇うなどしていたが、館の管理をはじめ、私の身の回りの世話や、執務の補佐など、その行うべき仕事はあまりにも多い。
 この地に赴任してきたばかりのころはまだよかったが、事業が軌道に乗り、その市場をどんどん拡大させていってからは、あきらかに無理をしている様子が見られた。
 だが、気丈な彼女は一度たりとも弱音を吐かなかった。

「……すまないな、君に負担ばかりかけている。
 できるだけ早く誰か他に雇おうとは思っているのだが……」
 うつむき、呻くように云う私にグラニテはそっと頭を振ると、
「いえ、お気になさらないでください。これがわたしの務めですから」
 そう云って薄く微笑む。
 仕事の最中は頑なにメイドとしての立場を崩さない彼女にしてはそれは珍しい仕草だった。

「それではわたくしは辻馬車の手配をしてまいります」
 そう云って彼女はうやうやしく一礼すると、部屋の外へと消える。

「ああ、よろしく頼むよ。グラニテ」

§ § §

「――ようこそいらっしゃいました伯爵様。
 本来でしたらこちらから出向かねばならないところ、お呼び立てして申し訳ありません」
 この館の主であるマネケン氏がソファから腰を上げ慇懃に礼をする。
 私はそれを手で制し、
「いえ、お気になさらず。早速ですがこの度のお話というのは?」
 性急に事を進めようとする私に、マネケン氏は、はっはっはっと朗らかに笑うと、
「まずはお座りください」
 と、私を促す。
 私は勧められるがままに来客用のソファに腰を沈める。このソファといい、豪奢な絨毯といい、調度品はどれも一等のものを使っているようだった。
 彼はその向かいのソファに腰掛けると、ふぅ、と息を吐く。どうやらそのでっぷりと脂ののった身体を持て余し気味のようだ。

「それで、この度の用件とは」
 単刀直入にそう切り出す。
「ええ。実は伯爵様に折り入ってお願いしたいことがございましてな」
「頼み、と」
「はい。来月この屋敷にてお得意様を招いての晩餐会を催す予定なのですが、その席に是非とも貴腐ワインを数本都合していただきたいのです」
「――貴腐ワインを?」

 それは確かに私が取り扱っている〝商品〟のひとつであった。
 さらに云うならば、中央から身ひとつでこの地に封ぜられた私が今日の財をなせたのも、全ては〝帝王のワイン〟と称されるこのワインのおかげだった。

 そもそも私が封ぜられた土地は、元々祖父であるマチェドニア大公爵が個人的に所有していたものであった。
 おそらく別荘地か何かにしようとして買い上げたきり放置したままだったのだろう。数年前、私が赴任した時には小さなブドウ畑と荒れ果てた小さな洋館があるだけだった。
 一応、地元の農家にブドウ畑と洋館の管理を委任してあったので、朽ち果てていたりはしなかったものの、その有様はひどいものだった。……いや、だからこそ私の赴任先として選ばれたのだろうが。

 そんなマチェドニアの莫大な資産のなかに埋もれ、片隅で忘れ去られていたようなこの土地だったが、過去に一度だけ眷属の間に話題が挙がったことがあった。
 十数年前、偶然貴腐ブドウが生ったのだ。
 ただしそれは事業化できるほどの量ではなく、ワインが数本造れるか造れないかといった程度のものだったと聞いている。
 それではたいして旨みがない、と判断されたのか、そのときはそれ以上どうすることなく捨て置かれたようだが、栽培自体は続けられていたようで、以来毎年のように数本の貴腐ワインが祖父の元に届けられていた。

 そして、この地に赴任した私は数年がかりで貴腐ワインの事業化に腐心しつづけた。
 その甲斐あってごく少量ではあったが、なんとか事業化できるまでに貴腐ブドウの生産量を増やすことができた。
 〝帝王のワイン〟はその希少性から中央の王侯貴族相手に飛ぶように売れ、以来商品の目玉として今日に至るまで交易を続けている。

「……しかし残念ながら私どもの造っている貴腐ワインはごく少量でして。正直そちらにお回しするだけの余裕は……」
「そこをなんとかお願いいたします」
 渋る私に、マネケン氏は頑として食い下がってくる。

「実はその席には隣国のサバラン子爵もお招きしているのですが、子爵とはここ半年ほど綿花の交易に関して折衝を続けておりましてな。先日ようやく約定を結びつける一歩手前までこぎつけたところなのですよ」

(……なるほど。わざわざ貴腐ワインなどを求めたのは取引相手の貴族をもてなすためだったのか)
 これで得心がいった。

「この取引がうまく成立すれば隣国から綿花を安く大量に仕入れることができます。その利潤は相当なものになりましょう。
 ――もちろんそのあかつきには伯爵様のお店にも優先的に卸させていただきます」
 そう云ってマネケン氏は「詳しくはここに」とテーブルの上に一枚の書類を置く。

「――いかがでしょう? 決して伯爵様にも悪いお話ではないと思いますが?」
「ううむ……」
 私はうなった。
 確かに悪い話ではない。そうなれば私にとってもかなりの利益が見込める。
 ただやはり問題は貴腐ワインの生産量の少なさだった。下手をすれば中央への輸出に穴をあけることにもなりかねない。目先の利益に目がくらんで顧客の信頼を損ねるような真似は極力避けたかった。
 私はしばしの間考えを巡らせていたが、やおら首を左右に振り、
「やはり残念ですがこの件は――」
 と、重々しい口調で断りをいれようとした瞬間、コンコン、と扉を叩く音が響いた。

「し、失礼します。お飲み物をお持ちしました」
 そう、声の端を震わせながら書斎に入ってきたのは、まだ年端もいかない少女だった。
 この館のメイドなのだろう。粗末なエプロンドレスを身にまとい、手にはティーセットを乗せたトレイを持っている。

「む、何だお前か。他の者はどうした?」
 マネケン氏は入ってきた少女の姿を見とがめると露骨に嫌な顔をした。
「も、申し訳ありません。他の皆さんは全員出払っていましてそれでその……」
 うつむき言葉を濁す少女に、マネケン氏はいらついた声で、
「わかったから早く持ってこい。伯爵様にお茶をお出ししろ」
「は、はいっ」

「ど、どうぞ」
 少女は恐る恐る、といった様子で私の前にソーサーの上に乗せられたカップを一客置く。
 だがその様子はあまりに危なげで、少女の手の震えがカップに伝わってカタカタと音を立てている。
(……大丈夫なのか……?)
 私が彼女のあまりにも危なげな様子を案じているなか、少女は同様にマネケン氏の前にもカップを一客置こうと手を伸ばす。
 だが「あっ」という小さな声と共に、案の定少女は緊張のあまりカップを持つ手を滑らせてしまう。
 少女の手を離れたカップはテーブルの上に落ち、大きな音を立てた。幸いカップこそ割れなかったものの、その中身を派手にぶちまけてしまうこととなる。

「も、申し訳ございません!」
 少女は慌てて懐から取り出した布巾でテーブルを拭くが時すでに遅く、こぼれた紅茶が置いてあった資料に茶色い染みをつくり、インクがにじんでしまっている。

「この馬鹿者!」
 激昂したマネケン氏は力任せに少女の頬を打つ。
「あうっ」
 軽い少女の身体は吹き飛ばされ、床の上に転がる。
「貴様は茶ひとつ満足に用意できないのか!」
 マネケン氏は倒れた少女に追い打ちをかけるようにして怒鳴りつける。
 床にうずくまった少女は蠢くようにして身体をよじり、頭を床にこすりつけるような体勢をとると、か細い、弱々しい声で許しを請う。
「……申し訳ありません……申し訳ありません……」
 今ので唇を切ったのだろう。口元が腫れて血がにじみ、その小さな肩は小刻みにがたがたと震え続けている。
 平伏して詫びる少女に対しマネケン氏はひとしきり罵声を浴びせると、びっ、と強く扉を指さして、
「もういい。さっさと出て行け!」
 と、がなった。
「はい……失礼いたします」
 よろよろと立ち上がった少女はこちらに向かって一礼した後、そっと部屋を出て行く。

 バタン、という扉の閉まる音と共に、マネケン氏は大仰にため息をついてみせると、
「いやはや、お見苦しいところをお見せして申し訳ありません――。
 お怪我はありませんでしたかな?」
「ええ」
 頷く私。マネケン氏は改めてソファに腰掛けると、いかにも苦々しいといった口調で語り出す。
「あの娘、近隣の村に住む農家の娘だったのですが、近年の不作がもとで家族に売られてきましてな」
「ほう……?」
「せっかく買い取ってやったというのに、これがとんだ役立たずでして。ほとほと困っております。紅茶ひとつすら満足に淹れられないとは」
 そう云ってマネケン氏は、はぁ…、と深いため息をつき頭を振る。
「所詮は家族にすら見捨てられるような厄介者、ということですかな。
 こうなったらいっそのこと色街にでも売り払ってしまおうかと……」
「ふむ……」
 私は気のないような相づちを打ちながら無事だったカップに手を伸ばす。

(――あんな下働きの女に本気で懸想するとはみっともない……! お前にはマチェドニアの一門としての自覚はないのですか)
 母の声。
(――余計な口出しはするな! お前はただ俺たちの云うことに従っていればいいんだ)
 兄たちの声。

 ――口をつけた紅茶は少し渋かった。

「ところで、先ほどのお話ですが……お引き受けしてもかまいませんよ」
「ほ、本当ですかな?」
 息巻き、身を乗り出して問うマネケン氏。
「ええ、貴殿にはこの地に赴任してきたばかりのころ何かとお世話になったことですし」
「ありがとうございます。いやはや、何とお礼を申し上げたらよいか」
 破顔一笑したマネケン氏はそう云って手を差し出し握手を求めた。
「ただし」
 私はその手を握り返すことなく、意地悪げな笑みを口元に浮かべながら言葉を続ける。

「ひとつ条件があります――」

§ § §

 町の郊外にある小さな古びた洋館。
 その門の前に一人の紳士と少女が立っている。

「ここが、君の新しい家だ」
 紳士は傍らの少女に優しく語りかける。
「ここが……」
 傍らの少女は小さくそう呟いて洋館を見上げる。そしてそのまましばしの間一言も発することなく、ただじっと屋敷を見つめつづけている。
 その瞳に映っているのははたして期待なのか諦観なのか。少女が何を思って〝新しい家〟を見つめているのか、紳士にはわからない。

「そういえばまだ君の名前を聞いてなかったな。何というのかね?」
 紳士の問いかけに少女は屋敷への視線を外し、紳士の方へと向き直ると、たたずまいを正して答える。

「わ、わたしの名前は……イシェル、です。
 ――ご主人様(マイマスター)

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