episode:1.41
- Yes, I also think so. -

 その町ではちょうど市が開かれていた。
 通りの両脇にはいくつもの露店が立ち並び、近隣の農家で採れたばかりの新鮮な野菜や果物が、堆く軒先に積まれている。
 活気に満ちあふれ、どこか土の匂いが漂う町並みを、グラニテとイシェルは籐籠と麻袋を積んだ木製のキャリーを引いて歩いていた。

グラニテとイシェル

「――ごめんください」

 グラニテがそう云って粉屋の扉をくぐると、カウンターに頬杖をついて暇そうにしていた店主はふたりを見て相好を崩した。

「いらっしゃい。――ああ、伯爵様んとこの姉ちゃんか。注文かい?」
「ええ。小麦粉を十キロお願いします」
「あいよ。後でお屋敷の方に届けておけばいいんだろ?」
「ええ、お願いします。こちらお代です」

 そう云って財布より数枚の硬貨を店主に差し出す。

「まいどあり、っと。……じゃあ伯爵様によろしくな。ちっこい嬢ちゃんもまたな」
「は、はい。さようならっ」

 あわてて最敬礼で頭を下げるイシェル。
 ははははは、という店主の笑い声を背に店を後にする。

 ふたりは立ち並ぶ露店で土にまみれた採りたての野菜や卵。それに塩漬けの肉や腸詰めの薫製などを買い込み、キャリーに積んでいく。
 その間にも通行人や露店の店主を問わず、様々な人々がふたりに気さくに声をかけていく。
 ふと群衆の中から一際大きくグラニテを呼ぶ声がする。

「おーい。グラニテちゃん。こっちこっち」

 声のする方角を向くと、たくさんの野菜や果実が積まれた露店の奥から、店主と思しきひとりの老婆が大きく手を振っていた。

「お婆さんお身体の具合はもういいんですか?」

 グラニテは老婆に対し気遣わしげにそう尋ねる。

「そうそういつまでも店を畳んではいられないからね。……おや、こっちの子は初めて見る顔だね。新顔かい?」
「ええ、二ヶ月ほど前からお屋敷で働いています」
「イ、イシェルです。よろしくお願いします」
「あいよ。こちらこそよろしくね。……しかしなんだかパッとしない子だねぇ」

 老婆の歯に衣着せぬ物言いに「あう……」と項垂れてしまうイシェル。老婆はそれを見て呵呵と笑う。

「ほら、そんな暗い顔で俯いてばかりいないで。もっと顔上げてシャキッとしな。でないと可愛い顔が台無しだよ?」
「は、はい……」
「それで? 何か買っていくだろ。何が欲しいんだい?」

 老婆はグラニテの方に向き直ると、抜け目なくそう尋ねる。

「そうですね……」

 グラニテは云いながらぐるりと店の商品を見回し――。

「……そういえば苺のジャムが切れかけていたわね。イシェル、またお願いできるかしら?」

 そう、傍らの少女に向かって思いついたように問いかける。

「あ、はい」
「なんだい。何か特別製なのかい?」
「ええ。なんでも郷里の名産とかで。とても美味しいんですの」
「へぇ……。そんなに美味しいって云うんなら一度ご相伴に与ってみたいもんだねぇ」

 感心したように云う老婆に、イシェルは誉められるのに慣れていないのか、くすぐったそうにして頬を赤らめる。

 老婆の店で買った苺をキャリーの一番上に積み、あらかた買い物を終えたふたりは帰路についた。
 喧噪と雑踏が支配する町並みをイシェルはグラニテの後を追うようにして歩く。

「――あら」

 ふと何かに気がついたのか、グラニテが足を止める。その視線の先にはひとりの行商人の姿。
 路傍に露店を構えているのは何も地元の人間ばかりではない。町の外からやって来た行商人の姿もごく僅かではあるが見受けられた。
 町から町を渡り歩く彼らは、得てしてこの辺りでは入手の難しい海塩や珍しい香辛料、あるいは貴金属や宝石の原石といった物を取り扱っている。
 帰りしなふたりが立ち寄った露店もそうした行商人のものだった。路傍に敷かれた絨毯の上には精緻な革細工や銀の装飾品などが並べられている。

「この髪留めなんて似合いそうね」

 そう云ってグラニテが目に留めたのは鈍い光沢を放つ銀製の髪留めだった。表面には過美にならない程度に文様が透かし彫りにされている。
 イシェルはその髪留めをつけたグラニテの姿を脳裏に想い描く。その髪留めは想像の中のグラニテによく似合っているように思われた。

「――お似合いです、とても」

 だがイシェルの言葉にグラニテは意外そうに首を傾げて、

「あら、私はあなたに似合いそうって云ったのよ」
「え?」
「そうね。――この髪留めをいただけるかしら?」

 云いながらグラニテは懐から財布を取り出す。

「まいどあり」

 そうしてあれよという間に髪留めはグラニテの手の中に収められていた。

「付けてあげるわ。――じっとしてて」

 云うなりイシェルの髪に手を伸ばす。
 グラニテの白い指がイシェルの髪にからみ、イシェルは思わず目を閉じて固く首をすくめた。
 くすぐったいような、さらりとした指の感触がしばしイシェルの髪を梳くっていたかと思うと、グラニテの手の中にあった髪留めによって前髪が束ねられる。

「――出来上がり」

 グラニテの手の感触が離れ、イシェルはおずおずと閉じていた目を開く。心なしか、閉じる前よりも視界が開けて見えた気がした。

「うん、いいわね。――鏡か何かあるかしら?」

 グラニテは満足そうに頷くと、店主の方を振り返りそう尋ねる。

「はいよ」

 店主は売り物である掌に収まりきるほどの大きさの古ぼけた手鏡を貸してくれた。

グラニテとイシェル

「わ……」

 その少し曇った鏡面に映る自分の顔を見てイシェルは小さく歓声を上げる。
 それを見てグラニテはにっこりと微笑むと、

「これは私からのプレゼント。……あなた前からちょっと前髪が長すぎると思っていたのよ。これで顔がよく見えるわ」
「あ、ありがとうございます。……誕生日以外でプレゼントを貰ったの初めてです」

 イシェルの礼にグラニテは優しい笑顔を浮かべて頷く。

「それじゃ、帰りましょうか」
「はい――!」

§ § §

 ――その夜。ジュノワーズが執務机に向かっていると、不意に書斎の扉が叩かれた。

「失礼します。お飲物をお持ちしました」

 そう云って入ってきたのはメイド見習いのイシェルだった。琥珀色の液体で満たされた湯気の立つカップをそっと机の上に置いていく。

「……うむ。ありがとう」

 礼を云いつつ、ジュノワーズは書類を片手にカップに口をつける。

「それでは失礼します」
「――イシェル」

 主に一礼をしつつ部屋を辞そうとしたイシェルを肩越しに呼び止める声。
 イシェルが振り返ると、ジュノワーズは相変わらず視線は手元の書類に落としたまま、

「――似合っているな。その髪留め」

 思いがけない主からの言葉に、イシェルはしばしきょとんと目を丸くする。
 そして春に花弁の開きそめるような笑顔を浮かべるのだった――。

 ――Yes, master. I also think so――!

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